音楽における
芸術性と大衆性の二律背反について

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　よく、あちらをたてればこちらがたたず、という。音楽における芸術性と大衆性もまたこの二律背反の関係にある。ここでは音楽の歴史をいくつか通観して、それを考えてみたい。
　
グレゴリオ聖歌の歴史から
　紀元４世紀頃までの初期のキリスト教会では礼拝で歌われる歌も単純であった。したがって、特に音楽のトレーニングを受けていない会衆でもみんなで歌い、神を賛美することができた。ところがこの礼拝歌はだんだんと整備され、複雑化されてくる。それは礼拝をより神聖なるものとするためにそこで歌われる歌もより神聖なるものとしよう、という願望からである。そしてそれは次第に精緻化されることにより、だんだんと一般大衆には手におえないものとなっていった。
　
　６世紀後半に活躍したグレゴリウス一世によりそれは決定的なものとなった。彼はそれまでに礼拝で歌われてきた膨大な歌を集大成した。いわゆるグレゴリオ聖歌の誕生である。そして彼はまたスコラ・カントルムという音楽学校を作った。そこは当時すでに複雑、精緻化していた礼拝音楽（＝グレゴリオ聖歌）を学ぶ場であった。楽譜というものが整備されていない当時、音楽を学ぶということはすなわち膨大なるグレゴリオ聖歌を暗譜、暗誦することであった。（何やら中国の昔の科挙に似ているネ）スコラ・カントルムは卒業までに９年間かかったといわれている。すべてのグレゴリオ聖歌を頭にたたきこむのにはそれだけの年数を必要としたのであろう。

　こうして複雑化した礼拝音楽のもとではもはや一般大衆は沈黙するほかはなくなった。礼拝時に歌うことができるのは専門的なトレーニングを受けた聖歌隊に限られるようになった。また礼拝そのものも中世ヨーロッパでは既に死語となっていた一般人には理解できないラテン語で行われたために一般大衆は礼拝に参加してもいったい何がなんだかわからない状態となっていったのである。礼拝をより神聖なるものとするために、またグレゴリオ聖歌の芸術性をより高めるために、それらの大衆性は逆にどんどん失われていったのである。

ドイツコラールの歴史
　さてこうした状態を打破しようとしたのがかのＭ．ルターであった。彼は礼拝をより大衆的なものに戻そうとした。そして民衆の言葉であるドイツ語で礼拝をおこない、グレゴリオ聖歌の変わりにコラールという概念を導入した。コラールとはドイツ語で歌われる単純な単旋律の歌で、そのメロディーはできるだけ民衆に歌いやすく、なじみが深い曲から作られた。

　こうしてドイツのルター派においては礼拝の大衆化に成功したわけであるが、反面その芸術性は失われてしまったといってよい。だれにでも気軽に歌える曲というのはどうしてもその芸術性は低いものとならざるを得ないからである。

　そのためかどうかはわからないが、コラールの多声化（現代でいうハーモニーをつけること）がすぐになされるようになった。そしてコラールを使ったさまざまなジャンルの音楽が現れ始めた。単純なコラールを使って芸術的な作品を作るということが作曲家の創作意欲を刺激し、それぞれ個性的な作品を作り始めたのである。

　こうしてコラールの多声化やこれを使ったさまざまな芸術作品があらわれるにつれ、またしても大衆は礼拝音楽においてつんぼさじきにおかれる結果となってしまった。コラールの多声化により、メロディーは現代と違ってテノールにおかれるようになった（これはテノールに定旋律をおいた中世以来の伝統をコラールにおいても受け継いだため）ため、大衆には他の声部が邪魔になり、いったい自分がどんな曲を歌っているのかさえわからなくなり、歌を聴いてもメロディーがさっぱりわからなくなってしまった。またコラールを使用した複雑な曲がオルガンなどで教会で演奏されるようになり、結局民衆はそれらをだまって聞いているよりほかはなくなってしまったのである。

　こうしたコラールの芸術化を究極のものとし、コラールの大衆性にとどめを刺してしまったのがかの大バッハである。彼が礼拝で弾くオルガン曲はコラールを用いているとはいえ、複雑すぎて大衆にはさっぱり理解できなかった。現代でいえばわけのわからない前衛音楽を聴かされるようなもんだろう。

　今でこそバッハは音楽の父と言われ、まさに不世出の音楽家とあがめられているが、彼と同時代の大衆からすれば大衆のためのコラールを結局かつてのグレゴリオ聖歌のように芸術化してしまい、わけのわからない音楽をつくり上げた張本人だったわけである。

　結局コラールもまたグレゴリオ聖歌と同じ運命をたどったのだった。（こうした傾向は日本の能や狂言の歴史にもまた見られる。農民の素朴な楽しみとして発達したこれらの芸能もまた観阿弥・世阿弥のような天才の手により精緻化され、芸術化されて今日にいたっている）

演歌の歴史
　二種類の歌―唱歌系の歌と演歌系の歌ーのページで書いたように、演歌の歴史もまた音楽における芸術性と大衆性の二律背反を示している。かつてカラオケのない時代は演歌とは歌うのがむずかしいものだった。だからこそその芸術性が高かったのである。歌手には名人芸が要求された。しかしカラオケ時代になり、だれもが演歌を歌うようになり、作曲家も大衆に迎合するようになる。演歌の大衆化である。だれもがカラオケで歌えるようにするためには名人芸を要求するむずかしい曲であってはならない。当然歌いやすい簡単な曲が増えてきた。すると演歌の芸術性が落ち、歌いやすいかもしれないが歌手の持ち味を生かしきれないつまらない曲が増えてきた。そのために演歌自体の人気も落ちたのである。ここでもまた芸術性と大衆性の二律背反が見られるのである。
　
二律背反関係の打破
　以上いくつかの例を挙げて、音楽における芸術性と大衆性の二律背反をみてきた。これはまさに古くて新しい音楽上の課題といえる。だれもが参加できてなおかつ芸術性の高い音楽などというのは論理的に無理なのであろうか。いろいろな人が新規参入してくれば芸術的なレベルは必然的に落ちるし、芸術的レベルを上げようとすれば一般大衆が参加できないようになるのは必然だろうか。
　
　ところで、カラオケというものは相変わらず根強い人気をほこっている。人間はやはりプロの音楽を聴くだけでなく、自分でも演奏してみたいという欲求があるようだ。そしてできれば人さまにも聴いてもらいたいと思う。そのためにはアマチュアではあってもアマチュアなりにある程度の芸術的レベルも要求されることになろう。みんながこんな風に思って芸術性を高めようと努力すればこの二律背反を破れるかもしれない。大衆性があって芸術性の高い音楽も生まれてくるだろう。なんとか破りたいものである。

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