キリスト教とおばあさん
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「私はイエス様に救われたんです」

　この言葉にハッとした。昭和５５年、当時立教大学生であった私が沖縄の愛楽園というハンセン氏病の施設を訪れた際に聞いたそこに住むKばあさんの言葉である。

　このKばあさんはこの愛楽園に何十年と住んでおられた。若い頃にハンセン氏病を患い、家族から引き離されてここに入ってこられた。世間からの偏見の中でさんざん苦労したあげく、この愛楽園に入所し、キリスト教に触れ、やっと精神の安定を得たのであった。（愛楽園は他のハンセン氏病施設と異り、キリスト教信徒であったハンセン氏病患者の有志が苦労してその礎を作り上げたものである。詳細は青木恵哉著「選ばれた島」参照）

　このKばあさんの言葉を聞いてハッとしたのはキリスト教というものはそんなにも個人の心を救う力があるのか、と思ったからである。

　それまでキリスト教などというものは大嫌いだった。だいたいが高校の世界史が悪い。そこに書いてあるのはキリスト教の名のもとに行われた殺人、戦争、etc,のオンパレードである。十字軍、ジャンヌダルクの処刑、魔女狩り、インカ帝国の撲滅、はては帝国主義時代の植民地支配などなど、たくさんの残虐行為がキリスト教の名のもとに行われている。いったい「キリスト教」の名目で何人の人間が死んだのであろうか。聖書には「汝、殺すなかれ」と書いてあるのに。

　こういう先入観のもとにミッション系の大学である立教大学にたまたま入学し、聖歌隊などという毎週礼拝で日曜日まで大学に行かなければならない団体にたまたま入ってしまったものであるから（当然私はもともとクリスチャンではない）入学してしばらくはキリスト教というものがうさんくさく感じられてしょうがなかった。毎週礼拝にやってくるきれいに着飾ったいかにも上流階級っぽいおばちゃんたち、きんきらきんの服を着た牧師、豪華な礼拝堂（しかしパイプオルガンはぶっこわれていたが）、礼拝が終わるとみんな一様に満足したような顔をして楽しそうに中庭で談笑していた。聖歌隊はこれらの人種のために少しでも耳に心地よいような音楽を聞かせるのがその役目であった。

　なんだかむなしかった。キリスト教なんて所詮この程度のものなんだろう、って思っていた。それにしてもあんなに人殺しをした宗教が何でキリストが死んだあとも２０００年にわたってしかも世界中に広まり続いているんだろうと不思議にも思っていた。

　こんな風にキリスト教や礼拝に疑問を持っていた頃に「沖縄の愛楽園というハンセン氏病の施設に行ってみないか」とO牧師から言われた。ちょうど好きだった女性から最終的にふられてチョー落ち込んでいた時期だったので渡りに船で行くことにした。

　愛楽園に着いてからはいろいろな方の部屋を訪問させていただいた。そして朝７：００くらいからKばあさんの家で朝の礼拝があると言われて行ってみていきなり言われた言葉が冒頭の「私はイエス様に救われたんです」だったのである。

　その後日曜礼拝などにも参加させていただき、立教大学のチャペルとのその雰囲気のあまりの違いにびっくりした。

　とにかくひたむきさが違う。みんな全身全霊をイエス様にささげている、という感じ。しかしそれもこの愛楽園の草創の歴史を知れば納得した。そこには私の習った世界史とは正反対に、まさに「キリスト教」の名のもとにハンセン氏病患者が一致団結して世間の偏見と闘い、自分たちが安住することのできる療養所を作ってきた歴史があったのである。

　その後いろいろキリスト教を勉強してみて思ったのは確かにキリスト教というものは残虐な人殺しなどもしたけれども、それ以上に人間の心をあるいは命そのものを救っているのではないか、ということであった。しかしこうしたことは無論学校では習わなかったし、もし私が愛楽園に言っていなかったらわからなかっただろう。それまで通りやはりキリスト教というものを偏見の眼で見ていたに違いない。

　ところでちまたの教会などには日曜学校などというものがあり、またいわゆるミッション系の学校というものがある。こういったところではおそらくキリスト教に対する特別な教育を行っているのだと思う。おそらく神の愛だの、信仰だのといったキリスト教の尊さが強調されていることであろう。しかしミッション系の中学、高校などではやはり世界史も教えているであろう。そこではまたキリスト教の名のもとに行われた残虐行為も教えざるを得ないであろう。

　このあたりの整合性はどうしているのであろうか。

　日本ではキリスト教の基盤はあまりにも弱い。公教育における宗教教育は禁止されているから平均的日本人が持つキリスト教の知識といえば以前私が思っていたような高校で習う世界史におけるキリスト教の位置付けとしてであろう。しかしこれではやはり片手落ちである。かといってミッション系の学校で教えるキリスト教はあまりにきれいすぎる（実際にそういう教育を受けたことがないので詳細はよく知らないが）ような気がする。そんな意味で私が青年時代に出会ったKばあさんのような存在こそがまさに本当のキリスト教教育なのかもしれない。
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